ActiBookアプリアイコンActiBookアプリをダウンロード(無償)

  • Available on the Appstore
  • Available on the Google play

概要

あーしあん316

2 1957年当時、八郎潟は琵琶湖に次いで日本第2の広さを誇る湖でしたが、20年に及ぶ歳月と莫大なお金と労力をかけて、1977年に1万7203ヘクタールの新生の大地に生まれ変わりました。村名は全国から公募され、将来に大きな理想と躍進を込めて「大潟村」と命名されました。 湖底から誕生した新生の大地は、太古から堆積した魚介類や海藻類が生んだアミノ酸やミネラル類が豊富に含まれ、有機質がたっぷりの自然な肥沃土壌だったため、農畜産物には最適の土壌です。また、日本の農業のモデルとなるような村を目指して作られたため、農家一戸あたりの農地面積は約15ヘクタール(東京ドーム約3個分)、日本の農家の平均農地面積の約11倍で、大型機械で効率よく作業ができるようになっています。 1993年(平成5年)の天候不順によって、日本国内で栽培されていた米の記録的な生育不良で、小売店の店頭から米が無くなるという事態が起きました。食べなれているジャポニカ種のお米ではなく、タイ産などの細長い外米をどのようにすればおいしく食べることができるかなどが話題に上がり、記憶している方もいるのではないでしょうか。 この時に組合員にお米を供給できなかった苦い思いから、確実に安心安全なお米を届けたいと、パルシステム山梨の前身コープやまなしは、独自の契約米制度を始めました。大潟村に米(まい)った!!オーリア21オーリア21(OREAA21)Ogata-Mura Relationship&Agricultual Association 21st.Centの略 意味は「リサイクル交流農業の会」です。大潟村の生産者11人による元気あふれるグループで、大潟村を築き上げてきたパイオニアたちの二世で構成されています。