ブックタイトルあーしあん311

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概要

あーしあん311

2 「まだ必要なのか」「そろそろ自立してもいいだろう」と支援の必要がないと取り沙汰されている昨今、避難されている方達は、避難前と後を比べたら、とても苦しい生活を余儀なくされています。私は山梨にも月に2回ほど来ていて、生活保護の申請などを支援しています。避難してきた地域の中で安定した仕事も見つからなかったり、病気になったりして、生活が困窮してしまうのです。事故後に離婚された方も多く、また父親が被災地に残り母子だけ避難する母子世帯も多いのですが、それを行政や自治体が理解していないような気がしています。 私は「福島を忘れない」という言葉が大嫌いです。忘れないようにではなく、自分の問題として考えて欲しいですね。 1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故では、30年以上たっても被災者に対して医療面などの厚い支援が続けられています。日本では、居住制限の区域外の人たちには賠償がありませんでした。唯一あったのは住居支援だけだったにもかかわらず、住宅補助も打ち切られてしまいました。当事者には、経済的にも精神的にも大変な打撃です。避難されている方には、「支援がないと生活できないなら福島に帰ったら…」、「そのアクセサリーは賠償金で購入したんだろう…」等の風評被害がありました。問題になった子どものいじめだけではなく、大人に対するいじめもあったのです。 政府は”福島の放射線量は下がっているから安全だ“という姿勢をとっていますが、校庭や自宅の庭等の土壌汚染を継続して計測している方達もいて、安全とは言えない状態が続いています。避難していることに対しては理由があります。もし自分が同じ立場だったら福島で暮らせるかを考えてみてください。貧困を覚悟して避難するのか、放射線の影響を受けながらその地に暮らすのかの苦しい選択をなぜ被害にあった方達がしなければいけないのでしょうか。 一番怖いのは、関係性の貧困で、それに経済と知識の貧困が入ってきます。地域との関係性がないと、支援の情報も入りにくいです。私たちのセンターでは、孤立して頼る所もない方から相談を受け、住宅を探したり様々な申請(生活保護等)の手助けをしています。障がいを持つ子どもを学校に送迎するための車を所持していると生活保護を認めてもらえない、息子さんが自力で貯金したわずかな進学資金も査定の対象となって申請が通らないなど困難なケースも多いです。精神的に追いつめられる方も多く、切迫した電話を受けることもあります。 周辺にぽつりと避難してきた方がいたら、受け入れて居場所を作り、話し相手になっていただきたい。小さなことからでもコツコツと粘り強く続けていけば、このうねりが何時か行政を動かすほどの大きな力になると思っています。2011年3月11日に起きた東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所事故の大量の放射性物質飛散の被害から7年が経ちました。パルシステム山梨の課題推進チーム復興支援は「わすれません!東日本大震災~被災者たちは今~」を各センターエリアで開催しました。2016年7月に設立された避難の協同センター事務局長 瀬戸大作さんと宮城県で被災後避難され、現在は北杜市在住の橋本礼子さんにお話をうかがいました。避難の協同センター瀬戸さん 談プロフィール瀬戸大作氏 避難の協同センター 事務局長パルシステム生活協同組合連合会で仮設住宅におけるコミュニティ支援活動に取り組む。脱原発を目指す市民運動に関わりながら避難者の声に耳を傾ける。