ブックタイトルあーしあん315

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概要

あーしあん315

2 明治時代に、一蓮寺境内の一部が公園の敷地として県に移管されてから、公園の竣工が始まり、大正時代に完成。その後県から甲府市に移管され、市が太田町公園として経営を始めました。大正8年には、市内有志者の寄付により、教育資料や娯楽用に観覧できるようにと、猿、孔雀、真鶴、鼠、小鳥等の飼育が開始され動物園として開園しました。ライオンが東宮職より送られたりと動物も少しずつ増え市民を楽しませてきましたが、太平洋戦争が激化し、昭和20年には戦災で焼失してしまいました。 戦後は、公園広場に戦災復興住宅にあたる市営住宅が建設されたり、民間で運営されたりと紆余曲折がありましたが、昭和27年には再度市立甲府動物園として開園し現在に至ります。 長く嘱託獣医を務めた小林君男さん(享年81歳)の妻静江さんにお話をうかがいました。 静江さんが君男さんと結婚したのは昭和29年、ご主人から伝え聞いたお話です。 太平洋戦争の戦況が激しくなると、国から猛獣処分の命令が下りました。義父である園長の承吉さんは、「動物は殺さない」「しっかり檻に入っていて、そこに爆弾が落ちて燃えても、めったなことではそこから飛び出すということはない」と自分の信念を貫いて動物たちの命を守りました。当時在園していた動物は、高齢になって死んでしまったりと徐々に減っていったそうです。 甲府の空襲で小動物と鳥類が少しいた動物園は焼けてしまい、承吉さんは動物園を再建したいと陳情しましたが、「今は、住民の生活の立て直しに取り組みたい。」と断られ、動物園を存続したいとの思いから引き取り私立として運営を始めました。ご自身でも動物病院を経営する傍ら7年間もの間私財で経営しました。人間の食料も不足していた時、草を刈りに行って食べさせたり、池の鯉をエサにしたり、残飯をもらい集めたりと大変な苦労をしたそうです。戦後の荒廃した時代だったからこそ、「多くの人の憩いの場所に…」という想いが強かったと言います。 来年100周年を迎える動物園、「いつまでも家族みんなで行って、1日楽しむことができる動物園であって欲しいです。」と静江さんは語ってくれました。みんなの心の故郷~遊亀公園附属動物園~「遊亀公園」「太田町公園」と親しまれてきた遊亀公園附属動物園。なんと、上野動物園、京都市動物園、大阪市天王寺動物園に次いで日本で4番目に開業した歴史がある動物園です。甲府市のほぼ中心にあり、現在も訪れる方を楽しませてくれています。来年は開園100周年の記念の年を迎えます。遊亀公園附属動物園入口昭和45年頃の動物園内遊園地小林静江さんとライオンの富士子のポスター