株式会社吉字屋穀店
株式会社吉字屋穀店
近年、グルテンフリーブームで米粉にスポットが浴びていますが、米粉は私たちの食文化のみならず、深く歴史と風土に根付いた加工原料です。
特に和菓子において、お団子や草餅、柏餅、大福などハレの日や行事食にも広く使用されてきました。そういった米粉を原料とする食品の美味しさは米粉の品質で決まると言っても過言ではありません。
原料のお米の種類や品質はもちろんですが、加工粒度、製粉方法によっても出来上がりが左右されてしまいます。特に最近、小麦粉の代用品として注目されているパンや洋菓子に使用する米粉は、高度な製粉技術を必要とします。パンや洋菓子の米粉の粒の大きさは、平均で約20ミクロン、一般的な和菓子用米粉の8分の1以下の細かさです。しかもただ細かくすればいいという訳ではなく、でんぷんを壊さないように優しく粉砕しなければなりません。
こういった高度な製粉業者が今までは山梨県内にはなかったので、米の特徴を生かした差別化が図れなかったり、消費者の要望にあったカスタマイズや品質対応ができませんでした。
さらに県内の米の普及と生産者へのサポート、休耕田対策も含めて「県内の高品質な米粉を作りたい」という想いから、一から米粉を学び、何度も何度も失敗を繰り返しながら日本でもトップレベルの製粉技術を手に入れました。
そして、原料のお米作りに関しても米粉用加工米の生産を、山梨県内何処に行っても産地交付金の対象となるよう県に働きかけ、対象地域にしていただきました。
吉字屋穀店として長く米に関わり、米への深い想いと特性を熟知しているからこそ、なんとかここまでできたと思っております。ぜひ、地域の自然と生産者の情熱を絶やさぬよう、私たちの想いに賛同していただけたらと思っております。
永禄10年(1567年)、武田太郎義信の自刃を因に、相模の北条氏康が駿河の今井氏真と通謀して武田領国への「塩留」を断行しました。
そのことにより、窮状にあった甲斐の武田信玄に対し、上杉謙信が「戦いは千弋を交えて行うもの」との儀をもって越後産の塩を送ったという美談が伝えられています。
この際、武田信玄の命を受け越後産塩の取り引きに使いしたのが塩屋孫左衛門(初代)で、塩飢餓を救った活躍に対し、信玄公より当時の甲斐の国の通貨「甲州金」の裏刻印である「吉」の字を屋号として送られ、「吉字屋」が誕生しました。
吉字屋ののれん分けから130年、長い歴史に根付いた信用と信頼は、何者にも変えられない財産でございます。
食の信用・信頼が問いただされた昨今でも長い歴史の中で堅く築かれた弊社の信用信頼は揺らぐことなく引き継いでおります。
山梨県甲府市